「正月」とは、年神様をそれぞれのお家にお迎えする行事を言いました。
年神様は一年の初めにやってきて、
その年家族みんなが元気で暮らせることを叶えてくれる神様です。
年の始まりに年神様をわが家にお迎えし、一年の幸せを祈る為に行うことを学びましょう。
わしの名前は「年神(歳神)」ぞよ。新年の神様として、祀られているぞよ。わしは年の初めにお家にやってきて、一年間の幸せをもたらすといわれているぞよ。わしは別名「歳徳神」ともいわれ、わしがいる方位を恵方というぞよ。その方角に向かってことを行えばなにごとにも吉とされているぞよ。2月3日の節分の日に恵方を向いて太巻きを食べると幸せがくるといわれているぞよ。これから、わしをお正月に迎える準備を教えてやるぞよ。
年神様を迎える準備を始める日が12月13日の正月事始めぞよ。この日に大掃除をすることを、すす払いというぞよ。今では遅くなり年末のお休みに入ってから行われているぞよ。一度に掃除するのではなく、この日から少しずつ掃除を始めるとよいぞよ。
年神様が宿るところで、下界に降りてくるときの目印であり、お家に邪気が入らない為に立てるといわれているぞよ。門松を立てる注意日は、12月の29日と31日。29日は「苦」として嫌がられ、31日は「一夜飾り」といい、年神様に失礼にあたる。この2日間を避け立てるとよいぞよ。
年神様をお迎えするにふさわしい神聖な場所をあらわす印ぞよ。しめ飾りは1月7日まで飾るぞよ。1月15日の小正月に行われるどんど焼きで焼くなどの習慣があるぞよ。車の災いを防ぎ、一年間の交通安全を願って飾る「自動車飾り」もあるぞよ。
鏡餅という名前は、昔の鏡の形に似ているからぞよ。鏡には神様が宿るものとされ、そこから鏡餅は年神様のお供えとして飾るようになったぞよ。丸い形は家庭円満、重ねた姿は一年をめでたく重ねるといわれているぞよ。お家のいろんな場所に飾って、食べて幸せになろうぞよ。
そばのように「細く長く生きる」という意味で、食べるといわれているぞよ。疲れをねぎらうという意味で、ねぎを入れるとよいぞよ。年を越してから食べると縁起が悪いといわれているので、年を越す前に家族みんなで、今年一年無事過ごせたことに感謝して食べるぞよ。
初日の出とともに、年神様が地上に降り立つといわれているぞよ。そこで、一年の幸せをお願いするために、見晴らしの良い場所に行き初日の出を拝むのぞよ。特に高い山頂で迎える太陽を「ご来光」というぞよ。
年神様にお供えしたお餅を「御年神様の魂」と呼び、そのお餅(おとしがみさまのたましい→おとしだま)をみんなで分け合って食べるようになったことからきているといわれているぞよ。
年神様にお供えしたおせち料理を家族そろって食べて一年の幸せと健康をいのるぞよ。
もともとは年の初めに両親が男の子の誕生を祝い無事成長を祈る儀式としておこなわれていたぞよ。子どもにとっても願い事を天に届けるという意味もあるぞよ。
羽子板は女の赤ちゃんの無病息災のお守りの意味もあるぞよ。羽子板でつく羽の玉を「無患子」(ムクロジ)と書き「子どもが患わない」という意味が込められているぞよ。
目を隠して顔の形だけ書かれた台紙に目・鼻・口などの紙を置いていく遊びで時にはとんでもない顔にできあがり笑いあうことが新年早々福々しくめでたいとされているぞよ。
昆布は「養老昆布(ヨウロウコンブ)」とかいて「よろこぶ」と読ませ、不老長寿とお祝いの縁起物とされています。
にしんのたまごの数にあやかり、子沢山・子孫繁栄の願いが込められています。
れんこんの穴は「見通しがきく」という意味で、遠くが見えるように先見性のある一年の願いが込められています。
田作りは小さくても尾頭付きで、縁起の良い料理。豊年・健全・家内安全の祈りが込められています。
黒色には魔よけの力があるとされ、まめ(勤勉)に働き、まめ(健康)に暮らせますようにという意味が込められています。
えびには腰が曲がるまで元気で長生きするようにと長寿の願いが込められています。
伊達は粋に通じ、また巻物に見立て、文化や勤勉を意味するといわれています。
厚焼玉子の黄色は縁起の良いもので、幸運を招く・金運を上昇させる・健康になると言われ、お祝い事のときに食べられています。
きれいな黄色は金貨の色。財産が貯まるようにとの願いを表し、縁起の良い福食です。
形が日の出に似ていることから初日の出を意味しています。赤は魔よけ、白は清浄を表しています。
両端が細くなっているのは、一方を自分が使い、もう一方に神様が宿るという意味が込められています。箸袋に名前を書くのは、神様に守っていただけるよう願いを込めたものです。